Vol.1229 2024年7月20日 週刊あんばい一本勝負 No.1221

3連休に2度山歩き

7月13日 金山滝から前岳コース。たっぷり2時間汗だくだくの「夏は出来るだけ登りたくない」メニューだったが、気力だけで山頂にたどり着いた。達成感も満足感もなし。義務感だけで登って帰ってきた、という感じか。今日は3連休の初日。夜は東京から来た先輩お二人の接待で「みなみ」。明日は彼らを能代のお墓まで連れていく。月曜日は友人のFさんの山グループから誘われて森吉山へ花見登山。

7月14日 右目のまぶたが赤黒く腫れている。あれッ、昨日の山で虫に刺されたのかな。でも痛くもかゆくもない。……たんなる日焼けだった。それにしても昨日の山はきつかった。毎週登っているのに、その日の気温で山はまるで別物になる。風のない暑さにはとにかく勝てない、とあらためて知らされた。

7月15日 3連休最後は森吉山。友人のFさんが自分の車で運転して連れて行ってくれるというので同乗させてもらった。森吉山はニッコウキスゲ真っ盛り。急坂もなくロープウエイに乗って、そこから歩き始め1時間半で山頂に。下山中、森吉山専門ガイドのGさんとバッタリ。相変わらずスリムでおしゃれで年齢を感じさせない。下山して阿仁鉱山の伝承館と異人館を見学。長い距離を運転して森吉まで連れて行ってくれたFさんに感謝して夜の食事に誘って一献。

7月16日 今日は32度の予想気温だ。今週は明日からずっと曇りのち雨の予報。週末の山も難しそうだから仕事と雑用の1週間になりそうだ。昨日の森吉山は曇り空だったがニッコウキスゲやハクサンフウロの原色に近い花々が咲き乱れ、頭がくらくらしそうになった。白いハクサンボウフウにミツバチが面白いようにとまって蜜を吸っていた。カメラを向けたが、うまく写真は撮れなかった。

7月17日 友人からお米を融通してもらった。秋田に住んで米に不自由することはない。酒蔵「天の戸」の杜氏だった森谷君が生きていたころは毎年60キロの森谷米が送られてきた。ここ数年は宮城県の農民詩人の方からタダでいただいている。その米が早々と底をついた。消費量が増えたからだ。朝ごはんを食べないようになり、そのぶん昼に事務所でちゃんとお米の食事をするようになった。スーパーで買うことも考えたが、「お米は金で買うものでない」という「流儀」がしっかりとこびりついていて、買うのに抵抗ある。もらうのは何の抵抗もないのだから、困ったものだ。

7月18日 夏休みに「長い物語」の本を読もうと思っている。古典や名作の類が無難で、その手の長編には事欠かないのだが、途中挫折が怖い。できれば最後まで手放せない面白い物語が読みたい。考えた末の結論は、井上ひさし著『四千万歩の男』(講談社文庫)全5巻だ。これに決めた。50歳を過ぎてから16年をかけて日本地図の実測図を完成させた伊能忠敬を描いた物語だ。「歩く」ことには人並み以上に興味がある。これがこの本を選んだポイントだ。

7月19日 中高時代、女子と手をつなぐ機会などめったになかった。唯一例外は文化祭で、フォークダンスの時だけは公然と手をつなげた。そのせいか、今でも「マイムマイム、ミィマイム、ベサソン」という歌詞をちゃんと覚えている。でもこの言葉って何語なの? と不意に75歳の偏屈なジッコは疑問に囚われてしまった。調べてみるとなんとヘブライ語だった! ユダヤ人の旧約聖書の中にある一節から採った歌だったのだ。マイムは「水」、ベサソンは「喜び」で、砂漠に井戸を掘り当てた時に舞い歌うものだった。イスラエルのガザ侵攻と極東の島国の辺境の雪国は何のつながりもない、と思っていたが、70年も前から実は見えない糸で結ばれていたわけだ。あの「マイムマイム」がヘブライ語だったとは……。
(あ)

No.1221

1週間
(新潮文庫)
井上ひさし
 第2次世界大戦後の昭和21年(私が生まれる3年前)、満州で捕虜となり、ハバロフスクの日本新聞社に移送された一人の日本人の反乱を描いた物語だ。シベリア抑留という言葉は知っていたが、このときに収容されたのは関東軍などの軍属が主で、その数は60万人もいた、というのは知らなかった。彼らのために部数20万部のタブロイド判の日本語新聞が週3回も発行されていたというのだから驚いた。その抑留された関東軍には、戦時中の階級序列がソ連の収容所内でもそっくり残っていて、上の階級のものはずっとえばり腐ったままだったという。それにしてもよくこれだけのソ連の日常生活を事細かく調べあげたものだ。と感心したのだが、よく考えたら著者の夫人はソ連暮らしの長い料理研究家で、その姉はあの米原真理さんだ。この二人の協力があれば、怖いものなしだ。NHKTV「映像の世紀」で、「史上最大の作戦」と言われるノルマンディの戦いのドキュメントを見た。作戦決行のために会談したスターリン、チャーチル、ルーズベルトの三者は、スターリンの提案を受け入れる代わりにソ連に「日本叩き」を約束させた、というくだりがあった。この作戦決行がシベリア抑留を生み出したわけだ。

このページの初めに戻る↑


backnumber
●vol.1225 6月22日号  ●vol.1226 6月29日号  ●vol.1227 7月6日号  ●vol.1228 7月13日号 
上記以前の号はアドレス欄のURLの数字部分を直接ご変更下さい。

Topへ