No.118
登るたび 頂遠く 笑(え)む観音
[房住山(409m―能代市二ツ井町・2015年11月22日)]
 毎年恒例の房住山。2年ぶりの縦走コースだ。房住山といえば愛くるしい33観音のある山だが山頂まで順番通りに33の観音様が並んでいるわけではない。1番観音は登山口とは反対側の丘をよじ登ったところにあり、正式な登山口は2番観音から始まる。7番観音に至っては登山道から大きく横道にそれた天下森といわれるピークにあり、登山道にリュックをデポ、急峻な坂道をよじ登らないと拝めない。
 さらに山頂に至っても観音像は33体にならない。登山道の裏側に下山しなければ、残りを拝むことができないのだ。33観音すべてにお参りするには縦走コースしかかなわない。
 というわけで今回は、あらかじめ車2台を下山用に小新沢登山口に置き、残りの2台の車で観音橋登山口に移動、そこからのスタートとなった。
 わずか標高400mの山だが登り始めから急峻な坂が続くけっこうハードな山でもある。
 1時間余り登ると7番観音のある天下森へ。この天下森の登りがきつい。荷物を登山道にデポしてくるのが正解だ。
 さらに歩を進めると房住山のハイライト「ババ落し」坂。青息吐息で登り切ると、ようやく落ち葉踏みしめ、静かな落葉の森を楽しむ余裕が出てくる。
 観音像の多くは文久元年(1861)、村人たちによって建立されたものだ。その中に番外と銘打たれた8体ほどの観音像があり、この建立は万延元年になっている。勘違いしていたが万延元年は1860年(安政の7年目にあたる)、33観音を建立する前年に「番外」が建てられているのである。これは推測に過ぎないが、この年、桜田門外の変があり、勝海舟ら遣米使節団が浦賀を出港。政情不安定で朝廷は2,3年おきに改元を繰り返し万延も1年限りの年号である。世の中の不安がピークに達し、その恐怖と不安が観音像建立のモチベーションになったものなのだろう。

1番観音は登山口の反対にある

トラブルは下山で起きた
 山頂まで約3・5キロの道のりを3時間ちょっと。結構きつい。山頂展望台小屋で昼食をとる。この展望台からは360度、県内の山の多くを眺望することができる。
 が、今回の山はこれからが本番だ。登ってきた道とは逆ルートで下山を開始。きっちり33観音を拝み、寺屋敷跡を通り、小新沢登山口に向かって降りた。この下山ルートはほとんど登山者が通らないコースだ、そのため2年前は道を見失い、ちょっとした遭難騒ぎまであった。今年は大丈夫(経験知があるので)と安心していたら、あろうことかまた迷ってしまった。2年前の道はやぶに覆われ登山道のていをなしていなかった。道らしき踏み跡を探しているうちに登山道をそれ、すっかり下山ルートを外れたままおり続けてしまったのだ。
 さいわい道を間違えながらも車を置いた駐車場の林道まで下りることはできた。山道からT字の林道に出たのだが駐車場が右方向か左方向か、そこでも迷ってしまった。結果、暗くなる直前にどうにか駐車場を見つけ脱出することができた。大事に至らなかったことに胸をなでおろしたが、山は怖い。貴重な教訓だけが残った。
 温泉は五城目の小倉温泉。脱衣場は狭く押し合いへし合い、シャンプーも石鹸も置いていない。泉質はいいのだがシャワーの水圧は弱く、湯船は狭く露天風呂はない。一番行きたくない温泉だが、この辺にいい温泉がないから、贅沢は言えない。

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