房住山・落ち葉の山と山内城 |
[房住山(409m・三種町――2022年11月20日)] |
最近ずっと天候に恵まれなかったのだが今日は好天の山日和。メンバーもいつものモモヒキーズの4人、井戸下田登山口を出発し、枯葉の敷き詰められた山道のアップダウンを繰り返し、最大の難所ババ落としの急坂をはいつくばって登り、また緩やかなアップダウンで山頂へたどり着いた。山頂小屋でランチをとるが、歩きながらずっと夢を見ているようないい気分だった。山頂からは、木々の葉が落ち遠く男鹿半島までがくっきり見えた。この時期の山は透明感に満ち、その空間にいるだけでリフレッシュできる。ずっとこのまま歩き続けていたい気分になる。いつもの気の置けない4人なので会話も弾んだが、前にも聞いたことのある内容ばかりだ。年をとって同じ話を繰り返すジジババ集団である。「鳥海山の氷の薬師って語源は何?」「この標柱の神祇って何て読むの?」……過去にも同じ会話が二度以上はあったものばかりだ。そのときはちゃんと正解を答えられた記憶があるのだが、もうその正解をちゃんと忘れているのだから恥ずかしい。たしか「氷」は「垢離(こり)」がなまったものだし、「祇」は祇園の「ぎ」で、土地の神という意味だ。でもこれが出てこないのだ。山を降りて夕飯を食べるころ、ようやく正解を思い出した。ピストンで登山口まで戻って合計4時間の山行だった。
温泉は脱衣場が狭くシャンプーもない小倉温泉。これで500円はちょっと高い。入浴後、まだ外は明るいので温泉の横の山にある中世の武将・山内氏の城跡も見学してきた。温泉ロビーの歴史由来の解説板によれば、天正17年(1589)、湊合戦で「檜山安東の武将だった三浦氏の城跡」と書かれている。湊合戦は檜山と湊の同じ安東家同士が戦い、湊側が敗北した戦いである。しかしこの解説では湊側だったはずの三浦氏(山内氏)が滅ぼした側の人物になっている。これではまったく真逆の歴史由来だ。たぶん何十年も堂々と、この温泉ロビーの一角に開陳され続けている解説標示なのだろうが、これまで誰からも異論や批判や抗議がなかったのだろうか。それとももしかすれば私のリテラシー(文章理解)に問題があるのかもしれない。 |