No.81
御嶽山の惨状を思いながら、男岳に登る
[秋田駒ヶ岳・男岳(1623m・田沢湖町――2014年9月28日)]
 今日は岩手・国見温泉側から秋田駒ケ岳の外輪を時計回りに1周。
去年も同じコースを登っていて、お山歩きとしては理想的ないコース、という印象が色濃く残っている山だ。
 最近は朝の4時起き、5時起きがそれほど苦痛ではなくなってきた。たいがいは前に一度登っている山なので、ある程度の体力や装備予想ができるようになり、そのぶん不安が少なくなったからだろう。いろんなことが想定できるようになると、山への恐怖は薄れるし、事前準備でそのあらかたは消し去ることができる。不慮の事故は誰にも避けられないから、これはこれであきらめるしかない。100%安全なアウトドアスポーツなんて、あり得ないからだ。 
 それにしても本格的に山歩きを始めた10年前は山に登る3日前から不安でたまらなかった。前夜も装備や体力への不安から寝付けない夜が多かった。そうした日々に比べれば、なんだかずいぶんと図太くなったなあ、という感慨もある。図太くなったのは「事前準備」をスムースに整えることができるようになった「慣れ」である。
 とはいっても、今も前夜はよく寝付けないことが多い。これは子どもが遠足前夜にコ―フンで寝付けなくなる現象と同じで不安よりも楽しみが勝っているから、と言ってしまえば世話はない。

9月末でこの紅葉

駒の雄大な景観がたまらない
 今回もお天気は上々。暑くないのが何よりのプレゼントだ。これからは寒さ対策が重要になってくる。秋の山は大好きだが寒さには手を焼く季節でもある。冬山ならそれなりの事前装備で臨むのだが、秋山は夏山の残滓と冬山の厳しさの中間。その日の天候や予想気温を加味しながら慎重に服装を装備する必要があるため厄介なのだ。
 去年は外輪を同じように時計回りで女岳に登頂した。今年は男岳である。男岳へと分岐する登山道から、去年登った女岳の黒い溶岩が真正面に見える。その背後の景色から薄く噴煙を上げている個所もある。
 誰もがみんな御嶽山の惨劇を思い出すのだろう。背後からため息が聞こえた。
 それほど女岳の黒い溶岩流の跡はまだ生々しい。これは1970年(昭和45)の噴火跡なのだだ。知り合いの新聞記者が、この噴火のときにはまだ秋田の新聞各支局は写真送信に伝書鳩を使っていた、と話していたの思い出した。1970年に新聞社は写真を辺鄙な場所から送信するために伝書鳩を使っていた。この事実を知った時、時代はものすごい速度で変化を続けているんだなあ、と驚いた。「鳩からネットへ」、こう並べて書くだけで、科学の技術革新という言葉の意味がリアルに感じられる。
 温泉は角館にある「花葉館」。もう何度も来ているはずなのだが、湯船につかっても、なんだか初体験のお風呂のようで、まるで過去のことが思い出せない。以前の記憶がないのは「老化」のせいなのか、それとも単なるノーテンキのなせる業なのか、よくわからない。 

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