Vol.1234 2024年8月24日 週刊あんばい一本勝負 No.1226

「お米」のことが心配になってきた

8月17日 昨日の35度越えは厳しかった。それでも夕方、なまぬるい風が吹きはじめた頃を狙って散歩。おもったより外気がさわやかで、体調もいいので、汗まみれ覚悟でストレッチと軽い筋トレ。久しぶりだ。本格的な夏に入って初めてかも。今日も暑い。事務所にひとりぽっちだが、昼はソーメンにしようか。それとも久しぶりに近所の「吾作」に出かけ、こってりラーメンでも奮発するか……このごろ一日で一番大切なのはランチのメニューを考えること。

8月18日 シャチョー室で使っている冷蔵庫は20年もの。自動車は10年を超えて走行距離も20万キロに近づいているが、こちらもまったく問題はない。一番危ないのは酷使しているパソコンだ。こちらは8年ほどになるのだが、毎日なんかしらの問題が生じてイラつくことが多くなった。パソコンだけは命綱。不安になったら新しいものに切り替える。これをモットーにしてきた。でもまあよく考えれば車も冷蔵庫もPCもよく頑張っている。こうして週末も「事務所ひきこもり」ができるのは、ひとえに冷蔵庫のおかげと言っても過言ではない。

8月19日 山口瞳に『迷惑旅行』(新潮文庫)というエッセイ集ある。近所に住む画家のドスト氏(関保寿)と、絵筆を携えて写生旅行をする紀行文だ。「旅」という言葉は夢を掻き立て、明るい非日常を予想させるが、ここでの旅は「私に押しかけられる地元は迷惑で、歓迎ぜめのこちらも疲労困憊、迷惑至極だ」という。「迷惑」の本来の意味は「どうしていいかわからな」状態を指す。山口は、この世のすべては迷惑と癖によって成り立っているという。生きることは自分にとって迷惑だし、他人にも迷惑をかけること。この世はすべて迷惑ばかり、というわけだ。画家のドスト氏の不思議な存在感が、ある種の中和剤になり本のアクセントにもなっている。こんな紀行文が面白くないはずがない。

8月20日 数日前、東京の縁戚から「スーパーからコメがなくなった。送ってほしい」と連絡が入った。なにをバカなことを、とその時は思ったのだが、ニュースではもう「時の話題」だ。先日、モデル農村と言われた大潟村を数十年ぶりかに訪ねた。その時に驚いたのは「田んぼの大きさ」だ。田んぼ一枚は1アール=一反歩、ところが大潟村の田んぼはいつのまにか「一ヘクタール=一町歩」が基本で、もう多くの農家は二ヘクタールを「田んぼ一枚」に整備して収穫する世界に突入していた。コスパ戦争に入っているのだ。2年続きの猛暑で、エースのあきたこまちが思った以上に暑さに弱いことがわかり、逆に新人のサキホコレが暑さにけっこう強く、その収量が逆転した、と言っていたのが印象に残っている。

8月21日 時々立ち寄る神社が近所にある。石動神社だ。そこから200mも離れていない場所に白山神社もある。石動に白山の二つの神社を隔てているのは太平川だ。管理者はもちろん別だが、面白いのは近くの人に訊いても、この2つの神社には何のつながりもない、と断言することだ。要は、隣接する集落の、A村は西の端に神社をつくり、B村は東端に神社をつくったら、結果的に隣り同士になった、ということらしい。集落の人たちには川向こうは外国だ。「近い」という地理的距離感は、まるでない。昔から、この両集落は田んぼの水源を巡って犬猿の仲だともいう。

8月22日 石川好さんが亡くなった。年齢は3歳年上。お酒は全く飲まないがヘビースモーカーだった。夫人の「殿谷みな子」さんは小説家で、こちらとは何かあるたびにメールでやり取りしていた。秋田時代のことを題材に小説を書きたい、と相談を受けたこともあった。今年3月、メールをいただいたのが最後か。秋田で一番おいしかったのは「鹿角の幸楽のホルモン」というので、ご夫婦と一緒に食べに行ったことがあった。いろいろ書きたいことがあるが、いつかまとめて書く機会があるかもしれない。ご冥福をお祈りしたい。

8月23日 毎日、新聞の切り抜きをする。地元紙と朝日新聞の2紙を切り抜き、使用済みのA4のコピー用紙裏に張り込んで整理する。日によって切り抜きはゼロもあれば10枚近くになる時もある。なぜか昨日は多かった。「K2遭難の平出・中島の分析」「無投票5選の大潟村」「県立博物館の企画展・秋田の米」「堂島の米指数先物取引」「児玉冷菓のコラボアイス」「石川好さんの死亡記事」……といった具合で、大まかに「事件」「食」「秋田もの」「出版」「趣味」といった分類ボックスに仕分けする。9割はもう日の目を見ることはない。それで構わない。もうこれは朝の「洗顔」と同じ「癖」だ。
(あ)

No.1226

バリ山行
(講談社)
松永K三蔵
 もう20年以上前から「芥川賞」も「直木賞」も興味はない。権威ある文学賞だが、現実は3年もたつと作品はおろか受賞作家の名前すら消えてしまう。のだが、今回の第171回の芥川賞である本書は、その訳の分からないタイトルが気になって、ついつい読んでしまった。関西の50人ほどの建装会社の社内登山グループが、六甲山周辺の山登りをする話だ。山歩きはともかく、それと同じ分量をつかって書き込まれた、地方の零細企業の社内事情がなかなかリアルで面白い。50人程度の会社の内情というのはなかなかうかがい知ることが難しい世界で、それが小説に舞台になることもまれだ。そして問題の書名だ。「山行」という言葉は一般的ではないが、私自身はよく使う。しかし「バリ」ってなに? これがわからない。「バラクラバ」という耳慣れない登山用語も何度か顔を出す。その説明もない。私だけが知らないだけか。このへんの読者との距離感の「不親切さ」は、なぜか逆に好感が持てる。山歩き小説が脚光を浴びるのも珍しいが、興味ない人にはどうなのだろうか。徹底的に小さな狭い世界を細部にわたって描くことで、大きな世界を現出させることに成功した物語で、個人的には好きなテーマと世界観だ。この1600円(税別)は惜しくない。

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