Vol.1236 2024年9月7日 週刊あんばい一本勝負 No.1228

運動中に水を飲まないのは……

8月31日 明日からは雨の予報。寝具類の洗濯と日乾しを刊行。朝からうってつけの青空だ。シーツや布団、枕のカバー、敷パットまで、コインランドリーに持ち込んで一挙に洗濯・乾燥まで済ませた。それにしても今年の夏はニトリのNクールという寝具に助けられたなあ。ネットで購入したのだが、そう高くもない。下着類をユニクロ以外で買わなくなったように。寝具もニトリですべてOK という時代が来るのかもしれない。

9月1日 起き出すと右腕が痛い。「……なんでやねん」とつぶやいて、笑ってしまった。今年の芥川賞『バリ山行』は神戸・六甲山を舞台にした小説だ。その後たまたま読んだのが増山実『今夜、喫茶マチカネで』で、こちらは大阪大学豊中キャンパス近くにある喫茶店を舞台にした物語だ。昨日読んだのだが一穂ミチ『砂嵐に星屑』は、大阪にあるローカルテレビ局を舞台にした連作短編集だった。本当に「たまたま」なのだが、ずっと関西弁の世界が繰り広げる活字世界に浸りきっていた。そのせいか頭の中がすっかり関西弁に占拠され、さきの不意の朝のひとりごとになってしまった。

9月2日 知り合いの訃報が続いている。遠方で友人が亡くなったら「とるものもとりあえず」その場所に駆けつけることができるだろうか。遠方の知人の居た場所まで出かけるのにはお金がかかる。交通費や宿泊費だけでなく、そのほかもろもろの出費がある。さらにその旅の手配や雑事を処理するために結構な事前・事後の行動力も必要だ。そして最後は体力。出費や行動力はまだ何とかなるが、見知らぬ土地での移動や法事には体力が必要とされる。同年代の人たちは、この「体力」のへの不安から「出席しない」という人が多かった。そうか、やっぱり最後にものをいうのは体力か。

9月3日 このごろ、昔に無明舎を訪ねたことがあるとか、30年前に一度お会いしたとか、親の介護で東京から戻ってきたので会いたい、、上司から無明舎のことを聞いて訪ねていいか、といった連絡を頻繁にいただくようになった。そんなこんなで、こちらも当時の昔を回想する機会が多くなった。昔は本当にいつも苛立ち、なにかに怒っていた。何に腹が立ったのか、ほとんど瞬間湯沸かし器だった。人の悪口ばっかりで、自分は偉いと心底思っていた。60を過ぎたあたりから、人の悪口は言わない。怒りたいときは深呼吸する。いやなことであればあるほど冷静になる、という処世をようやく身につけた。同じ場所で半世紀以上、同じ仕事を続けているのだから、これもまた自分の仕事のひとつだ。どうぞ遠慮なく訪ねてきてください。

9月4日 盛岡の人と話していたら「裏日本の人に言われちゃった」という言葉が出てきた。裏日本という言葉が、まだちゃんと生きていたのに驚いた。裏日本という言葉の発祥は明治20年代。自然、地理的用語として使用されたのだが、次第に経済的、社会的格差を認めた差別的な用語として、明治30年代には定着した。鉄道が太平洋ベルト地帯の大都市を中心に広がり、そこにモノ・カネ・ヒトが集積し、その後背地として裏日本は「国内植民地」のような形で意味づけられていった。江戸期は北前船の存在により、表に本は日本海側の都市だった、という言い方もあるが、やはり決定的なのは「雪」の存在なのだろう。冬季間の耕作が出来ず、交通は断絶し、モノもヒトの流れが止まる。この雪がネックだった。それにしても明治から100年以上たつ今も、裏と表の根本問題は何一つ解決されていない、というのも考えものだ。

9月5日 40年前のNHK[きょうの料理」が再放送されていた。シェフは帝国ホテル料理長の小野正吉氏で、その内容の古さに感動を覚えてしまった。とにかくシェフが偉い。料理も投げやりだ。アシスタントはおろか進行役のアナウンサーへの敬意もゼロで、食材はすべて素手でつかむ。盛り付けもぞんざいで料理を素手でいじりまくる。視聴者なんぞ最初から問題にもしていない。これが40年前の料理番組だが、いまなら猛抗議が来るのは間違いなし。シェフが悪者なわけではない。こういう時代だったのだ。

9月6日 中高生時代、運動中の水は厳禁だった。ネットで元プロ野球選手が、水を飲みたくて外野の芝生に水にぬらしたタオルを隠しておき、そこまで行ってタオルの水を吸っていた、と楽しそうに語っていた。彼は水を飲めない理由を「根性ですよ」と一言で片づけていた。その理由を調べて見たことがあった。昭和20年代から昭和40年代ごろまで、戦後教育にはまだ「軍隊教育」の影が色濃く残っていた。軍人は海外侵略する時、一番気を付けるのは現地の水を飲むことだ。川や井戸に現地人が毒を入れる可能性が高かったし、寄生虫のうようよする水を飲むのはリスクが大きかったからである。だから軍隊では、できるだけ「水を飲まない」訓練をとりいれた……運動中に水を飲まないのは戦時下の軍事訓練がルーツ、という説は説得力がある。
(あ)

No.1228

山口瞳ベスト・エッセイ
(ちくま文庫)
小玉武編
 この著者のいい読者ではない。でも没後、なんとなくいつか読んでみたい作家、として脳裏にしまい込んでいた。こんな状況の時に、筑摩書房のシリーズと化した「ベスト・エッセイ」は本当に役に立つ。色川武大も田中小実昌も中島らもも、とっかかりはこのシリーズだった。本書のエッセイの白眉は向田邦子の事故死を扱った「木槿の花」。故人を悼む文章としては異例の長文(弔文)で、ふたりの関係の深さに驚く。著者は向田のほかにも色川武大にも同じよう偏愛を寄せている。編者は「洋酒天国」時代の同僚で、著者の個性を知り尽くしている人だ。それは本書の構成によく現れている。「人間通―〈偏軒〉として生きる」「昭和の迷宮―漂白する自画像」「われらサラリーマン―運・競争・会社人間」「夢を見る技術―歓びと悲しみと」「わが生活美学―人間関係の極意」「飲食男女―通の通の弁」「老・病・死―反骨と祈り」……章題のサブタイトルも著者の世界観をうまく言語化している。本書を読むと、長編小説にも食指が動くような気がしたのだが、そうはうまくいかなかった。逆にもっと「山口の旅のエッセイ」が読みたくなったせいだ。次のターゲットは友人である画家の関保寿(ドスト氏)と絵筆を携えて回った「迷惑旅行」(新潮文庫)に決めた。

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