Vol.1237 2024年9月14日 週刊あんばい一本勝負 No.1229

「アンネの日記」を読了する!

9月7日 久々に夜の川反へ。家族の食事会だ。翌朝、目覚めが悪い。身体は正直だ。毎日、夜の食事は晩酌も兼ね、冷蔵庫のあまりものでチャチャとすます。それから1時間の散歩に出かけ、9時ころまで仕事場でごちゃごちゃパソコンをいじり、就眠する12時ころには、うまい具合に眠りにつける。それが昨夜は腹いっぱい食べたせいか、就眠前の読書にも気持が入らず、目をつむっても内蔵が重く、スムースに眠りに移行できなかった。年をとるというのはこういうこと。

9月8日 腕時計の秒針がピッと音を立てて外れた。さらにワインディングマシーン(自動巻きでない時計のネジを巻いてくれる器械)もピクリとも動かなくなった。はてさて、どうしたものか。近所に最近新装オープンした時計屋さんに駆け込むと、てきぱきと処理を施してくれた。近所にこうしたお店があることを感謝。腕時計なんかなくとも実生活で困ることは何もない。でも腕が空っぽだと、なんとなく心細くなる。

9月9日 朝一番で割山の免許更新センターへ。30分ほどで免許更新は終了したが、写真を撮るとき、眼鏡をかけ忘れるというミスをしてしまった。眼鏡なし免許証写真というのは初めてで3年間はこれで我慢するしかない。いまのところ運動・認知機能とも異常はない。でもこれからは1年1年が勝負で、なにがあるかわからない……と、これを書いていると、運転免許暑センターから電話があり、帽子を忘れているという。恥ずかしい。もう運転以前にモーロクが始まっている。

9月10日 高校時代、鳥海山の麓の村から通ってくる同級生がいた。冬になると雪のために通学が不可能になるので、その期間は寮に入っていた。笹子(じねご)村の出身の人で、ササコと書いて「じねご」と読むのに驚いた。最近、山形には「次年子」(じねんご)という地名があることを知った。冬に生まれた子供の出生届を翌春に出さなければならないほど雪深い、ということからきた地名のようだ。秋田の「笹子(じねご)」のほうは「しね・こ」で、よじれたひなびた土地を意味する言葉だそうだ。「ささこ」はもともと小さな狭い谷を意味する。「大辞林」には「ササの実。自然粳(じねんご)。凶作の年には食料とした」とある。ササの実を食べるような貧しい場所ということなのだろうか。「粳」(うるち)は「こう」とも読むので、これがなまって「ご」になったのだろうか。秋田県人なら「笹子」をすぐに「じねご」と読めるが、他県の人はどうなのだろう。

9月11日 またNHKの再放送「きょうの料理」を見て、深く時代の「闇」を感じた。81年放映の「陳建民の中国の豆腐料理」という番組で、名人が「おたま」ひとつで中華鍋をふるう。その同じ「おたま」で当たり前のように味見をする。その味見したおたまで、当たり前のように鍋をかき回す。いまならアウトだ。特にコロナ以降は死刑(笑)だ。さらに名人は「風邪をひいている」とテレビで公言し、しきりに料理中に咳をする。のどかな時代だったのだ。もうこんな時間は戻ってこない。

9月12日 この10日間、寝る前の読書はずっとアンネ・フランク『アンネの日記』(文春文庫)だった。昨夜ようやく600ページの大著を読了。増補改訂版で深町眞理子さんの訳が素晴らしい。ナチス占領下の環境で日記を書き続けたユダヤ人少女の「夢と悩み」に、食指は動かなかったのは、自分の生きている世界と接点がなかったからだ。アンネはドイツ系ユダヤ人だ。ドイツで生まれ、舞台は移住したオランダ・アムステルダムだ。けっきょくそこの隠れ家はゲシュタポに発見され、収容所送りになるのだが、アンネの死因は「チフス」だった。隠れ家には総勢8人が住んでいた。アンネの家族ともう一家族、それに老人がひとり。8人の中で生き残ったのは父親のみ。意外だったのは、日記にはナチや政治に関する記述が少なく、もっぱら同居している17歳の男の子への切実な恋心に多くのページが割かれている。それにしてもアンネの観察眼や文章力、社会や家族との距離の置き方は、とても少女とは思えないほど大人びて冷静だ。これがこの本を世界のベストセラーにした理由なのだろう。

9月13日 クラウドファンディングについて調べなくてはならなくなり、経験者の先輩編集者にメールで相談。微妙な問題なので電話をしてくれないか、という返事だったが、まだ電話できないでいる。昨日は、横手市の福祉施設から電話。なにかの依頼の電話だったが、電話では感情的になる恐れがある。文書で送ってもらえないだろうか、とそうそうに電話を切ってしまった。電話が嫌いなのだ。昔からいやなことはほとんど電話で知らされた。電話に出るのが怖くなった。面と向かって言えないことも電話ならいえる。相手の顔が見えないので感情的になって喜怒哀楽がロコツに出てしまう。だからスマートフォンは持っていない。このことに思想的、哲学的な理由は全くない。ガラケーはあるが月に一度か2度しか使わない。それで何の痛痒も感じない。いまのところスマホとは無縁で、そのことに満足している。
(あ)

No.1229

裏が、幸せ
(小学館文庫)
酒井順子
 盛岡の人と話していたら、「裏日本の人に言われちゃった」といわれた。差別的な裏日本という言葉はまだ生きていた。裏日本という言葉の発祥は明治20年代。自然、地理的用語として使用されたのだが、次第に経済的、社会的格差を認めた差別的な用語として明治30年代には定着した。鉄道が太平洋ベルト地帯の大都市を中心に広がり、そこにモノ・カネ・ヒトが集積し、その後背地として裏日本は「国内植民地」のような存在を余儀なくされていく。というのが本書の主張だ。江戸期は北前船の存在により、表日本は日本海側だった。「陰翳」「民藝」「演歌」「仏教」「神道」「美人」「流刑」「盆踊り」「文學」「田中角栄」「鉄道」「幸福」「原発」「金沢」「観光」……といった目次構成が「裏性の魅力」をうまく伝えて、読者を離さない。意識的なのかどうか不明だが、本書の欠点は「雪」についてほぼ触れられていないこと。やはり「裏」となっていく成立に最も重要なものは「雪」の存在だ。冬季間は作が出来ず、交通は断絶し、モノもヒトも流れが止まる。雪がネックだったのだ。表側には裏側に比べて「平地面積」が多かったから、と著者は書くが、それだけではうまく説明はできない。目次にも「雪」に対する項目はない。明治から100年以上たつ今も、「裏と表」の根本問題は何一つ解決されていない。

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